第6話 終わっ⋯⋯た?
Bはしばらくミニがスープを啜る姿を見つめていたが、やがて、カチャリと重々しい音を立てて
牢屋の鍵を開けた。
「お兄……ちゃん……?」
ミニが器を持ったまま驚いて見上げるなか、Bは鉄格子の扉をゆっくりと開き、檻の中へと入っていく。そして、床にへたり込むミニの前に跪き、その小さな体を優しく抱き上げ、牢屋の外へと連れ出した。
「もう大丈夫だ、ミニ。ここは冷たかっただろう」
Bの声は、先ほどまでの冷徹なものとは一転し、まるで本物の優しいお兄ちゃん(ぼうぼん)が戻ってきたかのような、穏やかで包み込むような響きを帯びていた。
だが、それこそがBの計算し尽くされた罠だった。
一度、暗く冷たい牢屋に閉じ込め、生存の危機(飢えと恐怖)を味わせたあと、温かい飯を与えてそこから救い出す。そうすることで、ミニの目には、自分を監禁したはずのBが、自分を暗闇から救い出してくれた唯一の『救世主』のように錯覚させられていく。
「ぼく……、ぼくをおいていかないで、お兄ちゃん……」
極限状態からの「解放」という飴を与えられたミニは、Bの思惑通り、完全に心理的な誘導にかかっていた。恐怖の対象であったはずのBの胸に、自ら進んで縋りつき、二度と離れまいと小さく震えている。
「ああ、決してお前を一人にはしない。この汚れた世界から、お前を守れるのは俺だけだ」
Bはミニを抱きしめたまま、その肩越しに、劉のような冷酷な笑みを深くした。
牢屋から出すことで、ミニのなかに「この人は僕の味方だ」という強烈な認知の歪み(ストックホルム症候群のような依存)を生み出す。感情に頼らず、徹底的に人間の心理をハッキングして飼い慣らす、Bの冷徹な強硬策が完全に完遂された瞬間だった。
『やめろ……B、ミニをそんな風に弄ぶな……! ぼくを、ぼくを出してくれ……っ!!』
脳の奥底で、ぼうぼん(ぼく)が血の涙を流しながら絶叫する。しかし、その声はもう、救世主(B)の腕の中で目を閉じているミニの耳には、永久に届かない。
Bの腕の中で、ミニがようやく安心したように目を閉じた、その時だった。
バァン!!!
隠れ家の扉が乱暴に跳ね上がり、銃を構えた国の上層部の追手たちが一斉に雪崩れ込んできた。
「そこまでだ、B! ミニをこちらに引き渡せ!」
一人の男が、拉致するかのようにミニの細い腕を掴もうと、乱暴に手を伸ばす。
「――気安く触るなと言ったはずだ」
Bの瞳から、一瞬で温厚な演技の光が消え失せた。
次の瞬間、Bの懐から黒い銃身が滑り出る。劉のような冷徹なまでの正確さと、一切の躊躇(ちゅうちょ)のない速度で、引き金が引かれた。
ドォン!!!
鼓膜を突き破るような爆音が狭い部屋に炸裂する。
ミニに触ろうとした男の胸が大きく跳ね上がり、男は自分が撃たれたことすら理解できぬまま、床へと崩れ落ちて物言わぬ肉塊へと変わった。
「ヒッ……!?」
残された追手たちが、Bのあまりの容赦のなさに恐怖して息を呑む。
硝煙が立ち込めるなか、Bは返り血を浴びた顔のまま、銃口を次の標的へと向け、冷たい声を響かせた。
「この俺の許可なく、そいつに触れていい人間など、この世界には一人も存在しない」
その圧倒的な強さと非情さ。しかし、洗脳され病みきっているミニの目には、目の前で人を平然と撃ち殺したはずのBが、自分を敵の手から守ってくれた本物の『救世主』として、より一層輝いて見えていた。
「お兄ちゃん……っ!」
ミニは恐怖するどころか、さらに強くBの体に縋りつく。Bはミニを片腕でしっかりと抱き寄せ、その頭を愛おしそうに引き寄せながら、敵の残党に向けて三日月のように目を細めた。
『B……お前……っ!!』
脳の奥底で、ぼうぼんが激しい衝撃に震えている。銃声の恐怖と、目の前で人が殺された凄惨(せいさん)な光景。だが、それ以上に「自分の肉体が人を殺した」という現実と、それを『救世主』と呼んで疑わないミニの歪んだ姿に、ぼうぼんは完全に言葉を失い、深い絶望の淵へと沈んでいくのだった――。
「あはは……っ、ハハハハハ!」
乾いた銃声と、かつての親友たちの悲鳴が途絶え、あたりには不気味なほどの静寂が戻ってきた。
一面に広がるのは、冷たい血の海。ミニはその真ん中で、光を完全に失った病んだ瞳のまま、ぽつんと立ち尽くしていた。
「お兄ちゃん、これで……誰もいなくなったね」
ミニがゆっくりと振り返る。
その視線の先では、ぼうぼんの発狂と絶望が引き起こした過去最大の拒絶反応(激しい頭痛)によって、Bの意識ごと肉体が限界を迎えていた。目、耳、鼻から果てしなく血を流し、ピクリとも動かなくなった兄の身体。Bの冷酷な精神も、ぼうぼんの優しい心も、あまりの脳圧の負荷に耐えきれず、完全に崩壊してしまったのだ。
ミニは血塗られた武器を物言わぬ床に落とすと、カツン、カツンと乾いた音を立てて兄の元へと歩み寄った。
そして、その場に膝をつき、お送りいただいた『VIVANT』の画像のように、冷たくなった兄の顔を両手でガシッと包み込んだ。
逃げ場をなくすように、自分の額を兄の額へと、ゴツンと強く押し当てる。
「お兄ちゃん、起きてよ……。僕、お兄ちゃんの言う通り、邪魔な世界をみんなお掃除したよ?」
至近距離で呼びかけるが、兄の瞳にはもう、ぼうぼんの優しさも、Bの冷酷な光も宿ってはいない。完全に壊れてしまった肉人形が、そこにあるだけだった。
「ふふ、そっか……。お兄ちゃんも、僕を一人にするんだね」
ミニの口元に、劉のような、そしてBのような、歪んだ三日月の笑みが浮かぶ。
世界をすべて殺戮し、自分を導いてくれた『救世主』さえも失った。今のミニの精神の檻には、もう誰も入れない。彼は兄の頬に自分の頬をそっと寄せ、冷たくなっていくその体をきつく抱きしめた。
(ジ〜〜〜〜〜〜〜〜ン……)
かつて脳内を狂わせるほど響いていたあの耳鳴りは、もう誰の頭にも響かない。
降り注ぐ冷たい雨だけが、大量殺戮の血と、崩壊した兄弟の姿を、どこまでも静かに洗い流していく。
「……ク、クク……ッ」
完全に崩壊し、事切れたと思われていた兄の身体から、地獄の底を這うような低い笑い声が漏れた。
『B』はまだ、生きていた。
額を押し付け、その頬を寄せていたミニの目の前で、兄の瞳にじわりと、劉のような冷徹で圧倒的な光が蘇っていく。目や鼻から流れた血を顔じゅうに滲ませたまま、Bはゆっくりと口元を歪め、三日月のような笑みを深めた。
「よくやった、ミニ。お前は最高の人形(相棒)だ……」
Bの骨張った両手が、自分の顔を包んでいたミニの小さな手を、上からガシッと力強く握り返す。
ぼうぼん(ぼく)という人格は、実の弟が友達を大量殺戮したあの瞬間の絶望に耐えきれず、完全に精神が消滅してしまったのだろう。脳内での拒絶反応(激しい頭痛)のノイズはもう一切しない。肉体の主導権は、完全に、永遠に『B』のものとなった。
「お兄ちゃん……! 生きてたんだね……!」
ミニの病んだ瞳に、狂喜の光が灯る。
すべての友達を自らの手で屠り、世界を敵に回した少年と、それを完全に支配し、自らの最高傑作へと作り変えた冷酷な救世主。
血の海の真ん中で、生き残った二人の化け物は、互いの手を取り合ってゆっくりと立ち上がった。
「さぁ、行くぞミニ。このくだらない国に、本当の終わりを告げてやる」
Bが不敵に囁き、ミニはその手を強く握りしめて無邪気に微笑む。
本当の絶望と狂気を孕んだ二人の『強硬策』が、ここから世界の全てを飲み込んでいく――。
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